槍の名手『酒井忠次』
徳川四天王のトップに君臨した「酒井忠次」。
徳川家康の父である松平広忠の時代から仕えていた譜代である。
忠次は槍の名手であり、愛用の槍は甕(かめ)もろとも敵を串刺しにしたことから「甕通(かめどおし)」と呼ばれていた。
「長篠の戦い」では武田軍を潰走させることに成功して、落城寸前であった長篠城を救うという名将ぶりを発揮している。
詳細情報
- 生没年:1527年?月?日〜1596年10月28日(大永7〜慶長1)
- 出身地:三河国(愛知県)
- 肩書き:武将
- 通称:左衛門尉
- 別名:小五郎
- 幼名:小平次
- 号:一智
- 官位:従四位下、左衛門督
- 享年:70歳
年表
- 1527年:三河国に生まれる
- 1563年:三河で起きた一向一揆を鎮圧
- 1570年:姉川の合戦で先鋒を務める
- 1575年:長篠の合戦で軍功を上げる
- 1584年:小牧・長久手の合戦に参戦
- 1588年:家督相続し隠居
- 1596年:京都で病死
酒井忠次肖像画
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