本文へスキップ

織田信長軍団

戦国武将のデータ,ランキング,年表,合戦歴,グッズ

お問い合わせ : info@sengokubusyo.com

織田信長軍団oda army corps

ホーム > 織田信長軍団

戦国時代最強『織田信長軍団』

 戦乱が続く戦国時代を近代という新しい世へ導いた織田信長は、数多くの有能な戦国武将によって支えられていました。
 その中でも
織田四天王と称される「柴田勝家」、「丹羽長秀」、「滝川一益」、「明智光秀」らの働きは大きかったでしょう。
 そんな戦国最強「織田信長軍団」について紹介します。

スポンサードリンク

織田信長

 戦国の世を切り開いた尾張の風雲児。
 有名な「桶狭間の合戦」では、今川義元の軍勢4万に対して信長はわずか2千の兵で勝利を収める。

織田信秀

 織田信長の父として有名。
 居城は尾張勝幡城で、別名を「尾張の虎」と呼ばれ勇猛果敢な武将として知られている。
 息子織田信長が戦国の世に飛躍するための足ががりを作り上げた人物。

柴田勝家

 織田四天王の一人「柴田勝家」。
 信長に一度背きながらも許されるという他にはない経歴の持ち主。
 また勝家は猛将として有名で、その戦いぶりから「かかれ柴田」「鬼柴田」などという異名を持っている。

丹羽長秀

 織田四天王の一人「丹羽長秀」。
 長秀が織田信長に仕えたのは16歳の時であった。
 信長からの信頼は厚く「長秀は友であり兄弟だ」と言われていたそうである。
 また、長秀は信長の兄である信広の娘を妻にしており、長秀の嫡男である長重は信長の五女を娶っていた。
 つまり、信長とは強い血縁関係で結ばれていたのだ。

滝川一益

 織田四天王の一人「滝川一益」。織田信長には早くから仕えており、1567年の伊勢攻めで挙げた武功により長島城を与えられている。
 そして、信長が掲げた「天下布武」の名のもとに各地を転戦して見事な戦歴を重ねていった。

明智光秀

 織田四天王の一人であり本能寺の変の主謀者「明智光秀」。
 光秀は織田信長に仕えるまでは各地を転々と流浪していた。
 しかし、織田家に仕官してわずか1〜2年で信長の厚い信頼を得ることに成功している。
 織田家の譜代でないにもかかわらず短期間で他の織田四天王と肩を並べるほどに昇進できたのは、明智光秀が優れた武将だったからに他ならない。
 しかしながら、なぜ本能寺の変を引き起こしたのかは戦国時代最大の謎である。

スポンサードリンク

サイト内検索
戦国時代の武将とは
応仁元年(1467年)に戦国時代幕開けのきっかけとなった大乱である応仁の乱が勃発してから、元和元年(1615年)の大阪夏の陣で摂津大阪城が落城するまでの約一世紀半の間に、武力・知力・財力などを用い、その名を天下に知らしめた武将たちのことです。
尾張の風雲児
織田信長
第六天魔王「織田信長」

日本一の出世男
豊臣秀吉
天下人「豊臣秀吉」

江戸幕府初代将軍
徳川家康
征夷大将軍「徳川家康」

戦国時代屈指の名将
武田信玄
甲斐の虎「武田信玄」

軍神
上杉謙信
越後の龍「上杉謙信」

東北最大の英雄
伊達政宗
独眼竜「伊達政宗」

戦国屈指の智将「毛利元就
天下の傾奇者「前田慶次
秀吉が絶賛した武将「直江兼続
四国統一の猛将「長宗我部元親
本能寺の変の主謀者「明智光秀
戦国最強の武将「本多忠勝
織田四天王の一人「柴田勝家
武田軍の伝説的軍師「山本勘助
戦国屈指の戦術家「島津義久
豊臣が誇る名軍師「黒田官兵衛
公式Twitter

戦国武将の名言をツイート