優れた築城家『加藤清正』
朝鮮での虎退治の逸話を持つ猛将「加藤清正」。
幼少時から豊臣秀吉に仕えており、賤ヶ岳の合戦では「七本槍」の一人として活躍した。清正は武将としてだけでなく築城家としても優秀であった。
清正が築城を手掛けた熊本城は築城から約300年経ってから起きた西南戦争においても、十分に実践に耐えられるほどの堅固な造りだったのだ。
詳細情報
- 生没年:1562年6月24日〜1611年6月24日(永禄5〜慶長16)
- 出身地:尾張国(愛知県)
- 肩書き:武将
- 通称:地震加藤
- 別名:竹松、夜叉若
- 幼名:虎之助
- 官位:従五位下、侍従兼肥後守、贈従三位
- 享年:50歳
年表
- 1562年:尾張国(愛知県)に生まれる
- 1583年:賤ヶ岳の合戦で「七本槍」の一人として武功を挙げる
- 1587年:肥後半国を領有する
- 1592年:文禄の役に参戦
- 1597年:慶長の役に参戦
- 1600年:肥後国(熊本県)の国主となる
- 1611年:肥後国熊本城で病死
加藤清正肖像画
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